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兎澤直樹

気まぐれ社長コラム No.33「磯部さん」

*この記事は弊社ドットコネクトの学生アルバイトに配信している「気まぐれ社長コラム」の内容(2024年10月8日)を抜粋して掲載しております。


今日のコラムはいつも以上に長くなるが、大切な話なのでどうか読んでほしい。


先ほど仕事を終えた後、都内の増上寺に赴き、お通夜に参列してきた。その帰りの電車でこれを書いている。


「磯部一郎さん」という僕もお世話になった素晴らしい経営者が、享年46歳という若さでその天寿を全うされ永眠されたからだ。


↓磯部さんについて


この方と初めてご縁をいただいたのは、僕が23歳の頃だ。つまり14年前くらいということになる。


僕が前職のコンサル会社に入社して1年も経たない頃、後に僕の上司となるNさんがまだコンサルタントとして駆け出しだったときに一番最初のクライアントになったIT企業の共同創業者で、役員をされていたのが磯部さんだ。僕は当時、新卒入社して間もなく、色々な先輩について仕事を経験させていただいていた時期だ。


当時から磯部さんは超が付くほどエネルギッシュで、超が付くほど仕事熱心で、超がつくほど人情に厚い方だった。僕のような当時何もできることがないようなぺーぺーにも誠実に、兄貴のような雰囲気で接してくださった。


磯部さんの会社もその後いろいろあったと聞いたが、それでも磯部さんや社員の方々が奮闘し、会社を成長させていた。


そして37歳の頃に、悪性リンパ腫が発病し、会社を上場企業に株式譲渡された。37歳と言えば、今の僕の年齢だ。


奥さまもいて、お子さんもまだ小さかったのに余命宣告も受けられた。


ダメかと思ったけど不屈の精神であきらめず、高いリスクを負って残された治療方法にチャレンジしたところ、医者も驚くほど奇跡的に腫瘍が小さくなり、一命を取り留められたのだ。そして助かった翌日にはもう新しい会社を起業されたらしい。凄い。


しかしその後、結局は合計でなんと10度もガンが再発することになる。


この世で最も過酷な治療と言われる骨髄移植を2回も経験されている。


僕が前職を退職する直前、お世話になった経営者の方々にその旨を報告する個別のメッセージを送っていたのだが、そのときに「何か一緒にできないか、会って話しましょう」と返信いただいて、ドットコネクトの登記日の前日である2019年1月9日に、久々に磯部さんの本拠地である人形町でお会いしたのだ。


その時もいつ病状が悪化してもおかしくない、いつ死んでもおかしくないといったことをおっしゃていた。お顔も少し浮腫んでおられた。


それでも仕事やご家族のお話を聞き、そのエネルギーの高さとお人柄の素晴らしさは健在だった。


磯部さんが幾度となく深刻な病気に負けずにそのときまで生きていてくださったことにそのとき僕は心から感謝したし、「この人から何かを受け取り、次に繋げられるような人生にしなければならない」と思ったし、「こういう感じでやっていこうと思ってる」と考えていた方向性に一層の自信が持てたのを覚えている。


僕は磯部さんに、前職の会社をなぜ退職したかも話した。「これからは際限のない売上・利益を伸ばすことをやりたいとは思わない」と正直に伝えた。磯部さんは、「自分が死にかけたときに、”あーもっとお金を稼いでおけばよかった”とか”会社を100億にしたかった”とか”会社を上場させればよかった”とは全く思わなかった」と言っていた。ご家族や大切な人との時間が宝物であると感じたらしい。


そしてその日お会いした後、磯部さんからは「兎澤さんは、これから成功する人だなと思って話を伺っていました。僕の提供する枠組みに収まる方ではないけど、何か一緒にできれば幸いです。」とメッセージをいただいた。ありがたかった。


何度もガンが再発する中で、副作用によって右目を失明されてからも、いくつも事業を興し、コンサル事業も始めて人の事業も成長させていた。


一方で、病気になるまでは仕事にばかり費やしていた時間の使い方を、家族との時間に充てられるよう、色々と変えていかれたようだ。死ぬかもしれない状況で息子さんに「パパとやりたかったことなに?」と質問されると、息子さんは「一緒にアスレチックをやりたかった」と答えられたそうだ。僕はそのお話を聞いたとき、人形町で泣いた。


その3か月後に僕の娘(穂乃花)が産まれた訳だが、小さい頃の子どもとの時間は戻ってこないので、前職を退職してからも家族との時間を大切にしようと思っていた僕にとっては、やはりその方向で行った方がいいと確信が持てた。


しばらくして磯部さんはご自身の人生から、『生き急ぐ』という本を書かれている。


磯部さんのメッセージは、死に急ぐのではなく、生き急ぐ。それは、いつ訪れるか分からない命の最期を意識して、「今」を大切にして生きること。幸せとは本来、そういう当たり前の日常の中にあるもので、命の終わりを意識するからこそ強く感じられるものだのだ。リアルな磯部さんの想いを感じながらメッセージを受け取れるから、ぜひこの本も読んでほしい。もちろん我が家にもある。


そんな磯部さんから、今年(2024年)の1月に久々にメッセージをいただいた。「コンサル先のクライアントさんでRPAを短期間だが使いたい。でもクライアントさんが使いこなすのは難しいくらいのクライアントさんだから、自分にRPAを教えてほしい」といった内容のメッセージだった。そして、磯部さんにMICHIRU RPAのレクチャーをさせてもらったのが今年の2月1日だ。


「今もいつ死んでもおかしくない」とおっしゃっていたのに、クライアントさんのために新しい技術を覚えようとされていることが本当に凄いと思ったし、そんな貴重なお時間を僕との時間に充ててくださっていることにも感謝が絶えなかった。


磯部さんは元々大手企業のシステムも組んでいたSEだから、MICHIRUで行うような自動化プログラムを一部、ご自身でも組んでいた方だ。


だからこそ、MICHIRU RPAをいじられて、「これ作った人マジで天才だ。自分も自動化プログラムを自分で書いていたけど、こういうアプローチがあったかー!と感じる」と、驚かれていた。


そしてつい先日、磯部さんの訃報をお聞きした。人は必ず死ぬものだと分かっていても、やはり悲しかった。


なんと磯部さんは、酸素濃度が薄れていき、「もうすぐ自分が確実に死ぬ」という状況で、最後のメッセージをSNSに残されている。


そのままそのメッセージここに貼り付ける。本当に最後の力を振り絞って伝えたかったメッセージだろうから誤字もあるが、それがリアルな文章だ。ぜひ読んでほしい。


/////////////////

まだ生きてます。自分でも強靭なさいごのとうのうです。立ち上がり、トイレに行くだけでも死ぬという状況で、特別な部屋で最後の時を生き急いでします。


この瞬間の生の声を届けることこそ、僕の使命であります。


家族、社員、友人にささえられ、やめてからも僕に協力しくれた多くの関係者の皆さんや、毎度の同じ内容でも講演会に出席してくださった方々、遠くから、sns通じ応援してくださった方々。感謝の思いしかがありません。


僕は自分の最期を意識して最期に家族と過ごしたい、お金や生活に小さいながらの経済の渦をつくっており、起業家として放り出さずにどう在るべきなのだろうと考え、自分のことより、周囲や取引先の皆様に少しでも信頼が損なわれないように、(信頼>利益)を貫きが困らないよう、指示しました、。


周囲や日本社会が僕のピンチをチャンスに変えてくれることを全うしたいと思っています。


今、酸素濃度が70という状態で、再駒のこの文書を書いてます。


僕がこの数日見ていて、様々な国からやって来て、日本の文化を評価しているショートムービーを観ていました。


まず空港の清潔さとホスピタリティのたかはからはじまり、ゴミや落書きがないこと。新幹線に始まり、自然と列をなして他人への配慮と、食と自然が豊富だということなどなど、その中心には我々に幼いころなら教育されてきた日本精神をもった人がいることがレベル違いで高いこと、それがために成立しているということでした。


僕は著書「生き急ぐ」を通じて、自分の価値観を発信してきましたり元々の目的は病気が治っても治らなくても2人の子などもたちが将来的に迷わない指針としてかきました。いま、酸素濃度は60。最後のお願いがあります。皆さんの当たり前の価値観から来る感度を広げる活動を利益度外視で広める活動に協力してほしい。我が家のためてまはなく、日本人としての誇りを取り戻すために。日本人がもつこの精神性こそ我が国が誇る最大のコンテンツなのでは、ないでしょか。


僕のことをみて凄いと感じているあなたも、同じように海外から見たら同じように凄いんです。

その事を意識して協力して成し遂げられる環境を部下に作るように命じます。

手段は問いません。どうか次の世代の若い人達の為により良い社会を作る為に協力して活動出来る組織を作って広めて貰えたらお香典やお花やお悔みメッセージよりも100倍嬉しいです。

最後になりますが皆さんの健康でご多幸を天国から見守っていきたいと思います。


失礼な態度を取った方々、それでも遠くから見守って下さってありがとうございます。どうかこの思いが多くの人の行動を変え一つ一つの行動がこの世界を変える一助となる事を天国から見守りたいと思っています。

また個人的なお願いですが、僕の周りに居る家族の事も温かい目で見守って下さったらもう、やり残した事はありません。


2024.09.26 磯部一郎より愛を込めて

/////////////////


これが、常にいつ死んでもおかしくない9年間に及ぶ過酷な闘病と仕事の末に、とある連続起業家が亡くなる直前に書いた文章だ。


人間、死が間近に迫っているという、ある意味で究極の状態で、何が大切だと感じられたかが綴られている。


その投稿の後、最後に磯部さんご本人がXに投稿されたのは、娘さんが描かれたという磯部さんの似顔絵だった。それを見てまた涙が流れた。


お葬式は奥様が喪主で、2人の子ども達もおられた。おそらく息子さんが高校生、娘さんが中学生くらいだった。ご家族の姿を見て、式場でも涙が出た。


磯部さんの死は僕も本当に悲しかった。でも、それ以上に磯部さんから受け取ったものがあると思っている。


それを自分の人生にいかし、自分なりに人生を全うし、その上で僕も磯部さんのように、大事だと感じたものを後世に伝えていくのがきっと僕の人生なのだ。人はそうやって時代を紡いできたから、僕や君たちが今を生きていられるのだ。


前にも書いたが、人生を楽しむことももちろん大事だが、何を後世に残すかこそが人生の目的なのだ。僕は今もそう思っている。


人はいつか必ず死ぬ。人生は1回しかない。人はいつ死ぬか分からない。


こうしている僕だって、明日も明後日も生きている保証などどこにもないのだ。


だから1日1日を大切に、後悔のないよう、生きていってほしい。


未来を不安がっても仕方がない。磯部さんもきっと幾度となく不安に襲われただろう。でも、未来を不安がって動けなくなるのは自分らしくないと感じられたのだと思う。


「今」のすべてに感謝して、「今」を大切に生きる。これが磯部さんのメッセージだ。


人はこうして死を通して、あるいは生前に残してくれた生き様や文章などによって、改めて人生で何が大切かを学び活かすことができる。


僕らができるのは、その学ばせていただいたことを活かし、自分なりの人生を自分らしく全うすることなのだろう。それだけが磯部さんへの恩返しだし、最大の供養になるのだろうと思っている。


今日に感謝して眠り、明日からもがんばろう!合掌

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